我那覇和樹を等々力に

フロンタ01 スポーツ

浦和レッズとの死闘

その試合での我那覇選手の極限まで力を振り絞った表情はテレビ画面に鮮明に現れていました。2006シーズンのJ1リーグ優勝チームの浦和レッズに2位の川崎フロンターレが挑んだ2007シーズンの4月21日の埼玉スタジアム2002でのアウェイゲーム。死闘といって良い内容でした。2-1で川崎フロンターレが勝利し、それ以前には経験したことのないほど気持ちが高揚したのを覚えています。

その数日後、一転暗い気持ちになったのは、スポーツ紙にニンニク注射の記事が出たからでした。我那覇和樹ドーピングえん罪事件の始まりです。

我那覇和樹

我那覇選手は川崎フロンターレを攻撃的なチームと言わしめたフォワードのひとりです。1999年に川崎フロンターレに入団し2008年まで10年間フロンターレでプレーをした選手を知らない人も多くなっているのではないでしょうか。ジュニーニョ選手とツートップを組み得点を量産していました。日本代表にも選ばれゴールを挙げています。

現在も我那覇選手の名残があります。皆さんが知っているとおり知念選手のチャントは当時の我那覇選手のチャントです。「ガーナハー、ゴールー、ゴールー」

ドーピングえん罪事件

そんな我那覇選手が絶頂期に巻き込まれたドーピング冤罪事件を丁寧に追ったルポが文庫化されましたので手に取りました。2011年に出版されていた本ですが、2019年に入って文庫化され、書店で平積みされていたので目に留まりました。都内の書店でも平積みでしたので、川崎市内なら簡単に見つかるでしょう。

「争うは本意ならねど: 日本サッカーを救った我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール」木村元彦著

冤罪事件が発生したのが2007年4月。この本が最初に出版されたのが2011年12月。その間余程積極的に情報を探さなければ真実を見つけることが難しかった状態だったのですが、この本で詳しく知ることができるようになったのです。

この本を読むとなんともやりきれない気持ちになります。お偉いさん方の不正確な情報をもとにした不用意な発言とその後の保身行動を読むと、本当にこんなことがまかり通ったのか唖然としてしまいます。

ちょうど著者の木村元彦さんの記事がWeb Sportivaに出ています。

07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」|Jリーグ他|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
★日本サッカーを救った男の現在地 前編  カマタマーレ讃岐が使用する高松市東部運動公園サッカー場には、2月の寒風がすさぶ中でも熱心なサポーターたちが練習を見学するためにやって来る。若い広報のスタッフはそんな顔が見える度、丁寧にあいさつをする。サポーターとチームスタッフとの距離の近さと信頼が垣間見える…

この記事を読んで興味を持った人には是非とも書籍を読んでもらいたいです。

弱い立場の川崎フロンターレ

この本を読んでいくとその当時の川崎フロンターレのサッカー界での立場がわかる気がします。日本サッカー協会の幹部を占めている某大学サッカー部や旧日本リーグの強豪チームともつながりのない富士通サッカー部をルーツとする立場です。

どこか平身低頭な姿勢が見えます。2009年のナビスコカップ準優勝時の賞金返上宣言の時もそうです。賞金を自ら返すと言い出すことでJリーグとのもめ事を小さくしようとしている気がします。遡りますが2007年ACL戦後のベストメンバー規定に関するえん罪事件も、規定違反していないにもかかわらず当時のJリーグ専務理事に叱責されています。

この時期、川崎フロンターレはJリーグから相当にらまれていたのだろうと思います。オリジナルテンでないことによる影響だったのでしょうか。

我那覇和樹ドーピング冤罪事件にも、この川崎フロンターレのJリーグに対する遠慮、今風に言えば忖度が働いていたと思います。その一方で、我那覇選手と医療措置を施したチームドクターを守ろうとした気配が見られないのは残念です。ドーピングを認めておけば、良きにはからってくれるだろうという、きわめて日本的で権威に弱い姿勢で対応をしてしまったように思います。

我那覇和樹を等々力に

2016年に川崎フロンターレ20周年記念のOB戦がありましたが、我那覇選手はまだ現役でプレーしていましたので参加しませんでした。ジュニーニョ選手とのツートップを見る機会は残念ながらありませんでした。2019シーズンもカマタマーレ讃岐でプレーすることが決まっています。とはいえ我那覇選手は今年39才。近いうちに引退する時期がやってきます。

足かけ9年に渡って川崎フロンターレでプレーした箕輪義信さんはコンサドーレ札幌に移籍したものの、引退後に等々力競技場で挨拶をする機会がありました。川島永嗣選手は帰国すると等々力競技場に来てGゾーンで挨拶をすることもありました。どちらの機会も私は嬉しい気持ちになりましたし、大きな拍手を送っていました。

我那覇選手が引退したら等々力競技場で引退セレモニーをやるべきだと思っています。我那覇選手が箕輪義信さんに劣らずフロンターレの最大の功労者のひとりであるのは間違いありません。

川崎フロンターレと我那覇選手との間でわだかまりがあるかのもしれませんが、サポーターと我那覇選手の間にはそんなものはありません。必ずや等々力競技場に呼んでもらいたい。サポーターは最大の歓迎で迎える筈です。

また、藁科社長へのお願いになってしまいましたね。

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